teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


 

 投稿者:NAK-G(管理人)  投稿日:2019年 2月16日(土)07時49分10秒
編集済
  渡辺様、詳細なご説明誠にありがとうございます!

やはり奏者による差があるのですね。納得しました!楽譜は設計図で、演奏によって(良くも悪くも)完成するというのが持論でしたが、そのことの一側面が渡辺様のご研究にも表れているのだと思います。

チェンバロは撥弦楽器なので倍音が出やすく、音が濁るのだと思います。オルガンも管楽器なので少なからず倍音が出ますし、ストップによっては鍵は一つでも複数の管が鳴っています。しかるにバッハの時代には比較的反応が出にくい演奏を聴いていたことになりますね。Wohrtemperierteではなく、完全に平均律の現代ピアノで反応が出やすいというのはまた興味深いです。

ちなみに私自身がフーガの技法も音楽理論も何も知らないまっさらな状態で初めて聴いたのは、カナディアン・ブラスの金管五重奏でした。当時オルガン曲に嵌っていた私にとって、第一印象は素朴で味気ない曲。そののちフーガの技法への関心はもっぱら知的好奇心です。つまり「石の数を数えていたり、どこからどの石が見えないなど、鑑賞以外の事」というのが私のほぼ一貫した姿勢です。そんな私が唯一繰り返し聞いているのが、グールドのピアノ演奏によるContrapunctus11です。これも曲の構造を演奏に生かしているからだと思います。

平均律の資料、お手数をかけてすみません。
 
 

訂正

 投稿者:渡辺  投稿日:2019年 2月15日(金)23時57分0秒
  ラインハルト→レオンハルト でした。すいません・・・。

 

(無題)

 投稿者:渡辺  投稿日:2019年 2月15日(金)23時45分14秒
  管理人様

昨日に引き続き、丁寧な返信ありがとうございます。

>好きな子をいじめてしまう子供の心理もそうなのかな(笑)。
一番わかりやすく、頻繁に見られる例ですね(笑)

>一つ素朴な疑問として感じるのは、演奏者によって「反応」の出方に違いがあるかどうかです。

これは、答えが出ていて、演奏者によってかなり違ってしまいます。
音の関係性に焦点を当て、その他の要素を排除した演奏に、アントン・バタコフの演奏があります。
私の経験では、この演奏が一番反応が出やすいと感じています。

CanonⅣの冒頭部分は、他の奏者だとトリルに聴こえますが、バタコフの演奏では、一音一音が
独立して弾かれている感じです。バタコフの演奏のCanonⅣの冒頭部分だけ聴いていても、何となく
落ち着かない感じになるという症状が私自身にあったので、この曲の分析を経て"同時成立"という
着想を得て、フーガの技法全体を調べたところ、他の曲集との違いが見えてきたという経緯があります。

その他、92年版のニコラーエワの演奏も比較的、反応が出やすいかと思います。
(67年版も素晴らしい演奏だと思いますが、曲によって音量差があったり、他の事が気になってしまう
 という側面があります。)

その他、コロリオフが多少出やすく、ソコロフ、ラインハルト辺りはあまり反応は出ませんでした。
チェンバロ奏者と弦楽は、装飾が多いので反応は出にくいと思います。

グールド、エマール、リフシッツは反応が出るポイントを避けて演奏しているような気がします。
(それはそれで、聴きやすいという側面がありますが、笑)

ヴァルヒャのオルガン演奏は、オルガンという性質上、音がしっかり伸びるので反応が出やすいかと
思いましたが、それほどでもなかった記憶があります。推測になりますが、オルガンだとソプラノ
が強調され、バスがこもって聴こえてしまうのも、原因の一つかと思います。

他の作曲家の演奏に関しても言えますが、曲の構造をしっかり聴かせ、テンポが遅目の奏者が反応が
出やすいと言えます。

*奏者の聴き比べや、パッヘルベルのマニフィカトとの比較に関しては、研究する上で、
貴サイトを参考にしました。改めてお礼を申し上げます。

音楽から逸れますが、龍安寺の石庭も反応が出やすいのですが、もっとも反応が出やすい
正面からの画像は、ネット上でも驚くほど少ない数しか存在しません。
また、実際に何度も行ってみたのですが、観光客が石の数を数えていたり、どこからどの石が
見えないなど、鑑賞以外の事をやっており、正面から見ている人がほとんどいませんでした。

このように、反応は直観的に避ける傾向があるので、反応を調べる時には、私の場合は、なるべく
ヘッドフォンで集中して聴くようにしています。

>CanonIVに12度の二重対位法が用いられていることも考えると、曲の構造を含めた全体で1度と5度の
>併存が意識されていたのかもしれませんね。

1度と5度の併存に関しては、他のCanonやフーガの技法全体、BWV869 fugue でも頻出します。
(BWV869 fugueに関しては、フーガの技法と同様に本来、"同時には成立し得ない関係を同時成立させる"
という工夫がなされているのではないかと思います。一方、未完のフーガに関しては、真贋は横に置いておいて、
"同時成立”という目的はあまり見られないので、作曲の目的が別にあるのではないかと考えています。)

わかりやすい部分だと、Contrapunctus 10 の冒頭2小節も、それにあたります。
なかなか掲示板の書き込みで説明するのが難しいのですが、譜面で♯がついているところを見ると、
かなりの頻度で見つかります。1度と5度に関しては、12度の二重対位法というのは、あまり関係ない
のではないかと思います。

また、Contrapunctus 11の冒頭部分は、1度と4度の併存を意図している可能性があると思います。

私の個人的な見解ですが、バッハはかなり意図的にやっていたのでないか?と感じています。

ご指摘頂いた、平均律のフーガ3曲に関しては、資料はあるので、後日返信したいと思います。

 

 

 投稿者:NAK-G(管理人)  投稿日:2019年 2月15日(金)14時09分55秒
  渡辺様、ご説明をいただきありがとうございました。

>例えば勉強しようとすると、部屋の掃除など関係ない事をはじめる
>芸術作品の本質に触れた折に、本人の許容範囲以上の幸福感や内面的進歩が
>促されてしまう場合、そこから逸らすために出る症状
なるほど、悪い(主観的に見て)負荷だけでなく良い負荷も現実逃避的行動を促すのですね。好きな子をいじめてしまう子供の心理もそうなのかな(笑)。

一つ素朴な疑問として感じるのは、演奏者によって「反応」の出方に違いがあるかどうかです。バッハの時代の楽譜は演奏表現に関する指示が少ないため、演奏ないしその良し悪しにおいて奏者に委ねられる部分が、後代の曲に比べて多くなります。極端なところでは奏者によって独自の装飾音も加えますから、渡辺様のCanonIV冒頭トリル音型の解釈を準用すれば、別の和音が付加されることになります。また、ことフーガの技法は(作曲者の意図に反して;)様々な楽器での演奏が試みられるので、なおのことと言えます。奏者によって聞き手の反応に差異はあるのか、あるいは作品の本質が作られた和声そのものであれば奏者による反応の差異は無視できる/生じないのか、興味深いところです。ご見解がありましたらお聞かせください。


さて、実は昨日動画が見られない環境で書き込みしましたので;、推測混じりで大分的外れなことを書いてしまい申し訳なかったです。あらためて動画を拝見させていただきました。寡聞な私の見解ではありますが、ContrapunctusIにおける4度・6度跳躍を、当該箇所における和音の構成音ではなく単独の和音として捉える試みは斬新と感じます。跳躍の著しい例としては平均律1巻の嬰ハ長調のフーガ主題(6度の連続)やイ長調のフーガ主題(4度の連続)等がありますが、「反応」は別としても、これらもそのように解釈し得るという事でしょうか。

また上記CanonIV冒頭のトリル音型に2つの和音を見る・感じるというのも目新しいです。これも平均律1巻のト長調のフーガ主題などは同様にみなしうるのでしょうか。CanonIVに12度の二重対位法が用いられていることも考えると、曲の構造を含めた全体で1度と5度の併存が意識されていたのかもしれませんね。もちろんCanonIV冒頭は基本主題冒頭レ-ラの装飾なわけですが、バッハがそこに如何なる響きを感じていたかは想像によるほかありません。一小節一和音を基本に和音構成音以外を非和声音と解釈する方もいる中で、そうした繊細な響きに目を向けるというのは、作品の解釈において新たな視点を提供することと思います。

昨日はバッハのWohltemperierteと旋法について私的見解を申しましたが、つまるところバッハの際立った特徴はセンスの良さにあると思います。渡辺様のご研究がバッハのセンスの理論化につながるかもしれませんね。

駄文長文失礼いたしました。
 

(無題)

 投稿者:渡辺  投稿日:2019年 2月15日(金)00時07分55秒
  管理人様

ご丁寧な返信ありがとうございます。感謝致します。

>スタンダール症候群とは初耳なのですが、感動の身体的反応と考えてよろしいでしょうか。

私の本業は身体の施術(大雑把に整体)です。詳細は長くなるので割愛しますが、
病気の状態というものに、本人の自滅的な志向が関係しているのではないか?という研究を2006年に
はじめました。色々調べてみると、病気の他にも、仕事であったり、家庭であったり、色々な側面で、
"自分の許容量以上にうまく行き過ぎると自虐的な側面(行動、症状)が出てくる。”という事が
わかってきました。

また、例えば勉強しようとすると、部屋の掃除など関係ない事をはじめる、また眠気などの症状が出る
など、自分が成長、進歩するものに着手しようとすると、逸れてしまう性質が、万人に大なり小なり
ある事がわかりました。(これを"反応"と呼んでいます。)

スタンダール症候群は、"芸術作品の本質に触れた折に、本人の許容範囲以上の幸福感や内面的進歩
が促されてしまう場合、そこから逸らすために出る症状”として研究しています。

裏を返せば、そのような"反応"が出やすい作品は、(芸術の知識が全くない人にも)直接的に意識に
影響を与え、進歩を促す作用がある、と考えています。

そのような経緯で、"反応"が出やすい作品として、龍安寺の石庭などと共に、フーガの技法を扱っています。

連載の大意としては、芸術作品は鑑賞して楽しむだけではなく、(思考を超えて)直接、精神に影響する
ものがあるのではないか?というテーマです。

>フーガの技法と言いますか当時の多声音楽において、時として調性があいまいになり、
>複数の解釈がなされ得る和音ないし和声があるのは、一つには旋法に根差しているゆえの特徴と言えます。

フーガの技法は、Contrapunctus 1~9と、Canon1~4までコード進行、カデンツの分析をしました。
(比較のために、平均律クラーヴィア1巻の前奏曲24曲、フーガ10曲、ヘンデル数曲、
ショスタコーヴィチの前奏曲とフーガの中から数曲のコード分析をしました。
また、バッハ以前の対位法を知るため『厳格対位法』/山口博史著、
『名曲で学ぶ対位法』/柳田孝義著、二声対位法/池内友次郎著もやってみましたが、バッハの対位法とは
違うという事で途中でやめています。)

昨日、リンクを貼らせて頂いた稿にも掲載していますが、私が調べた結果では、フーガの技法の調整は曖昧
ではありません。ほとんどが、現在でも使われている、最適化されたカデンツになっています。
以下が、Contrapunctus1とCanonⅣの、コード、カデンツの進行を書いた動画です。

Contrapunctus1
https://www.youtube.com/watch?v=vtxZaRu9huc

CanonⅣ
https://www.youtube.com/watch?v=c98fuJTAWmc&t=42s

管理人様の仰る通り、中世、ルネサンス期の時代のカデンツのほうが複雑、曖昧ですが、自分の感覚としては、
自由度が高いという事が、良い方向に出ているとは限らない、という印象です。
(Solage, Ockeghem,Gesualdo,Schutz などの分析を個人レッスンの先生に頼んだのですが、断られて
 しまいました。そこで、自分でやってみたのですが、やはり途中挫折という結果になりました。
 システムが個々で違うのと、V7がはっきりしないので、分析が難しいという事になります。)

私自身の現在の結論としては、バッハのフーガとバッハ以前のフーガは別物と考えています。

また、ご指摘頂いた、フーガの技法は旋法的要素が多い、バッハは自在な転調を目指していたなどは、
平均律のフーガ(こちらも旋法主体)や前奏曲(転調回数は、前奏曲のほうが多い)にも当てはまる事なので、
フーガの技法の特徴としては考え辛いのではないかと思います。

連載のリンクを全部貼るわけにもいかないので、前後の脈略がわかり辛くなって申し訳ないですが、大意としては
フーガの技法は、"本来、同時には成立し得ない関係を同時成立させる"(必然的に矛盾を含む)ことを
成立させる事を目的としているのではないか?という事になります。

そして、スタンダール症候群という"反応"が出やすい作品という事は、それが成立しているのではないか?と考えています。
例として、トニック、サブドミナント、ドミナントの基本的なカデンツで4度と6度を多用したり(Contrapuncts1)、
1度の中で5度を鳴らす(CanonⅣ、その他)、などを挙げています。

CanonⅣの冒頭部分の解説(この1度と5度の同時成立は、フーガの技法の随所に見られます。)
https://www.youtube.com/watch?v=bsA_j4hB_xI


*BWV686,687,669~671を聴きました。ご紹介ありがとうございます。
 旋法的要素が多い、という事は理解できましたが、フーガの技法に比べると素直な曲のように感じました。
 また、時間をつくって詳しく見てみたいと思います。
 

 

 投稿者:NAK-G(管理人)  投稿日:2019年 2月14日(木)10時59分48秒
  渡辺様、いらっしゃいませ。

興味深い論のご紹介有難うございます。寡聞にしてスタンダール症候群とは初耳なのですが、感動の身体的反応と考えてよろしいでしょうか。

フーガの技法と言いますか当時の多声音楽において、時として調性があいまいになり、複数の解釈がなされ得る和音ないし和声があるのは、一つには旋法に根差しているゆえの特徴と言えます。つまり和声の機能が明確化されていない部分が表出していると考えられます。

また1度、3度、5度の頻出や4度と6度の多用部分などは、3・5、3・6、あるいは4・6の和音の水平的組み合わせによってなされる、いわゆる対位法の特徴と言えるでしょう。

フーガの技法はCh.ヴォルフ氏によれば旋法的要素が多い作品ですので、上記のような特徴が多く見出されてしかるべきと考えられます。同様に旋法的要素が多い、あるいは旋法そのもので作られている楽章を含むものとして、クラヴィーア練習曲集第三部(オルガンミサ)があります。「キリエ」や「深き淵より汝に呼ばわる」などのフーガ的楽章において、そうした特徴が色濃く出ていると思いますので、ご参照されてはいかがでしょう。

バッハが最先端の機能和声的音楽を作る一方で、こうしたいわば古臭い旋法音楽も手掛けていたのは、磯山雅氏によればバッハにとって旋法が新たに学んだ「古くて新しい」ものであったと言います。私個人としては、バッハは自在な転調を目指していたと言いますから、その手段の一つが「良い調律」"Wohltemperierte"であり、もう一つが旋法であったと考えます。一見矛盾しているようではありますが、調律を度外視すれば旋法音楽は機能和声に束縛されない進行の自由があります。

また時に(オケゲムの時代においてすら)声部によって旋法が異なると解釈し得るものもあります。渡辺様のおっしゃる同時成立とは少々趣旨が異なるかもしれませんが、多調音楽のはるか昔にそのような音楽を成し得たのは、旋法音楽の自由さ、あるいは懐の深さと言えます。

駄文長文失礼いたしました。
 

フーガの技法の分析

 投稿者:渡辺  投稿日:2019年 2月13日(水)22時02分57秒
  はじめまして。
私は、心理療法に携わっている者で、芸術作品と心理療法に関する連載を書いたのですが、その中で、「フーガの技法」を扱っています。
芸術作品と心理療法に関しては、長くなるので割愛しますが「フーガの技法」が、他の調性音楽とどのように違うかをまとめた稿があるので、ご関心のある方がいらっしゃいましたら、
ご一読頂けたら嬉しいです。
また、感想、批判など頂ければ幸いです。

http://www.en-soph.org/archives/52904914.html
 

謹賀新年

 投稿者:NAK-G(管理人)  投稿日:2019年 1月 1日(火)13時52分4秒
  今年もよろしくお願いいたします。  

今年もあとわずか

 投稿者:NAK-G(管理人)  投稿日:2018年12月31日(月)21時32分59秒
  ご報告が遅くなりましたが、11月3-4日に東京にて、
日本音楽学会全国大会が行われ、発表の場をいただきました。
ツァルリーノの二重対位法とヴィラールトなどの実例を比較、
その理論と実践のかい離について発表しました。
可能性として、ツァルリーノ以前に二重対位法理論が
何らかの形で伝承されていたのではないかと考えています。
引き続き調査をしていきます。
会場においでいただきました皆様、お世話になった実行委員の皆様、
誠にありがとうございました。
忙しい中にもどうにか研究を続けていきます。

今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
 

今年も行ってきます

 投稿者:NAK-G(管理人)  投稿日:2018年11月 2日(金)23時27分33秒
  活動の中心がインターネットの外になってしまって
研究所の更新もBGMプレーヤーの問題もなかなか進まず申し訳ありません。
久々の更新で新譜紹介しましたが、これがアスペレンさんという大物。

さていよいよビッグなイベントです。
また追ってご報告します。
 

レンタル掲示板
/25